COLUMN

 

「霧島4000、という響き」

いまボクの手許には週刊プレイボーイ昭和42年8月15日号がある。
通巻32号と書いてあるから創刊からまだ32週、つまりまだ1年経たないことがわかる。
その特集記事は「激闘4日間 富士-霧島4,000キロ・ラリー完全取材」となっている。
小学6年生だったボクがこの本を手にするのは遥かのちのことだが、
いつからか「キリシマヨンセン」という言葉だけがずっと記憶に刻まれていた。
TDNを計画する時もそのキリシマヨンセンは、辿らなければならない踏み跡のように感じていたし、
九州4デイズで日南海岸を走った時には、キリシマヨンセンのその粗末な装丁のプレイボーイ誌の
モノクロのグラビア?の写真を思い出してたじろいだものだ。

こうしてボクには子供のころに抱いたいくつかの「辿らなければならない・・」
そういう道があった。
それが徐々に増え始めたのも、世の中の情報の量に比例する。
その時代に、チャド湖とアラル海と彷徨える湖ロプノールこの3つだけは行こう!と思っていた。
奇しくも90年代初頭のパリダカでチャド湖には行った。
というより地図上では湖の中だが実際には沙漠だったが・・・
そしてロプノールやアラル海は近年になって行くことが出来た。

はて、なにか忘れていることがなかったっけ。
それが実は霧島4000だったことに気がつく。
気がつくと居ても立っても居られないのがこの主催者の悪いとこでもあり、
まあ時には良いことでもあるのだが・・・

「えっと、30周年記念大会のTBIは霧島4000ねっ。」
「・・・・・・」
「えっ、わからなかった?キリシマヨンセン(キッパリ)」
「なんすか?それ」
「知らなくていいの。ボクの心の底にある憧憬への旅なの。」
「・・・・・・」

そんなことから企画された今回の旅は、さはさりながら参加する皆さんにも大きななにかエポックメイクであることを祈る。そして見送る大勢の諸先輩方には「そうか、あれを覚えていたやつらがいたんだなあ。。」とむせ返っていただければこれに勝る本望は無い。

スタート前夜のパーティには、なんとこの50年近く前の霧島4000を走った横田紀一郎氏も出席されている。

山田徹